分かったつもりで通り過ぎていた

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説明を読んで、
分かったつもりになることがあります。

なるほどと思う。

意味は分かる。

人にも少し話せる。

それだけで、
何かを受け取ったような気になります。

けれど、
実際にその場に身を置くと、
まったく違うことがあります。

静かな場所に座ってみる。

黙って茶を飲んでみる。

ただ掃除をしてみる。

何もしない時間に耐えてみる。

そうして初めて、
説明で分かったと思っていたものが、
まだ自分の外にあったのだと気づくことがあります。

禅を言葉で理解しようとすると、
どこかで止まります。

説明はできます。

けれど、
説明だけでは届かないものがあります。

この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。

昔の人なら、
分かるということを、
頭で整理することだけだと考えたのでしょうか。

それとも、
自分の身で受け取り、
何度も行い、
その中で少しずつ近づくものとして見ていたのでしょうか。

分かりません。

ただ、
体験というものは、
特別なことだけを指すのではないのかもしれません。

黙って座ること。

一つの動作を丁寧にすること。

すぐに答えを求めないこと。

そうした小さなことの中で、
分かったつもりだったものが、
少しずつ自分の中に入ってくることがあります。

通り過ぎていたものに気づいたとき、
同じ説明も、
前より少しだけ違って読めることがあります。

【060〜061】

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