レシートを見て、少し黙ることがあります。
昨日と同じように買い物をしただけなのに、
合計の金額だけが、少し重く見える。
特別なぜいたくをしたわけではありません。
必要なものを買い、
袋に入れ、
いつもの道を帰ってきただけです。
それなのに、
台所に立ったとき、
何かが少しずつ削られているように感じることがあります。
暮らしは続いています。
朝になれば起き、
仕事に行き、
返事をして、
言いたいことを少し飲み込み、
家に帰ればまた次の用事があります。
大きく壊れたわけではありません。
誰かに説明するほどのことでもありません。
けれど、
毎日の中で当たり前だと思っていたものが、
本当はずいぶん細いところで保たれていたのかもしれない、
と思う瞬間があります。
食卓に湯のみがあること。
玄関に靴がそろっていること。
誰かの声が聞こえること。
帰る場所があること。
普段は、ほとんど意識しません。
あるのが普通で、
続くのが当然で、
特に考えるほどのことでもないように思っています。
けれど、
少し疲れた日には、
そういうものが急に違って見えることがあります。
失ってから気づくものだけではありません。
まだそこにあるのに、
気づかないまま通り過ぎているものも、
たぶん、あります。
スマートフォンを開けば、
正しい言葉や怒った言葉が次々に流れてきます。
その速さの中にいると、
遠くのことばかりが気になって、
自分の足元にあるものほど、
見えにくくなることがあります。
この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。
昔の人なら、
こういう当たり前を、
ただの背景として見たのでしょうか。
それとも、
暮らしを支えているものとして、
もう少し静かに受け止めていたのでしょうか。
分かりません。
ただ、
まだそこにあるうちに、
気づけるものもあるのかもしれません。
そう思ったとき、
いつもの食卓の前で、
少しだけ手が止まります。

