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自由に選べることは、
ありがたいことです。
仕事も、
住む場所も、
考え方も、
生き方も、
昔よりずっと多くの選択肢があります。
けれど、
選べるものが増えるほど、
かえって迷うことがあります。
何を選べばよいのか。
何を大切にすればよいのか。
どこまで自分で決めればよいのか。
そう考えているうちに、
自由なはずなのに、
心が少し重くなることがあります。
新しい考え方は、
人を助けてくれることがあります。
不合理なものを改めること。
古いしがらみから離れること。
自分の意思で歩くこと。
それは大切です。
けれど、
人は本当に、
自分だけで立てるものなのでしょうか。
家のこと。
受けてきたもの。
人との関係。
続いてきた時間。
そうしたものをすべて脇に置いて、
ただ自由に選べばよいと言われても、
どこか足元が薄くなることがあります。
この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。
昔の人なら、
新しさや自由を、
ただ広がるものとして見たのでしょうか。
それとも、
人が自由に動くためにも、
何か支えとなるものが必要だと見ていたのでしょうか。
分かりません。
ただ、
保守という考え方は、
自由を否定するためのものではないのかもしれません。
人が自由に立つために、
何を受け取り、
何を守り、
何を粗末にしてはいけないのか。
そこを見ようとする考え方なのだと思います。
自由だけでは支えきれなかった。
そう感じる日には、
保守という言葉が、
古いものへの執着ではなく、
人が立つための足元を見直す言葉として、
少しだけ暮らしの近くに見えてくることがあります。





