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自分は日本人だと思って生きています。
それは、
普段あまり疑わないことです。
日本語を話し、
日本で暮らし、
日本の季節や食事や習慣の中にいます。
けれど、
日本人とは何かと問われると、
すぐに答えるのは簡単ではありません。
血筋のことなのか。
言葉のことなのか。
文化のことなのか。
暮らし方のことなのか。
どれも関係しているようで、
どれか一つだけでは足りないように感じます。
ふだんは、
そんなことを考えません。
朝起きて、
仕事に行き、
人と話し、
食事をし、
ニュースを見て、
一日を終えます。
その中で、
自分が日本人であることを、
いちいち意識することはあまりありません。
けれど、
言葉を選ぶとき。
相手の顔色を見て黙るとき。
昔からあるものを粗末にできないと感じるとき。
家や先祖や土地のことが、
ふと気になるとき。
自分の中に、
何か受け継いできた感覚があるのかもしれない、
と思うことがあります。
この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。
昔の人なら、
日本人というものを、
一言で定義したのでしょうか。
それとも、
暮らしの中にある言葉や振る舞いや心の向きから、
少しずつ受け止めていたのでしょうか。
分かりません。
ただ、
日本人とは何かという問いは、
すぐに答えを出すためのものではないのだと思います。
むしろ、
自分が何を受け取り、
何を大切にし、
何を忘れかけているのかを、
静かに見直すための問いなのかもしれません。
そう思うと、
日本人という当たり前の言葉が、
ほんの少しだけ重く見えてきます。





