日本人は空気を読む、とよく言われます。
言葉にされていないことを感じ取り、
その場に合うように振る舞う。
それは良くも悪くも、日本的な特徴として語られがちです。
けれども、なぜ人はそこまで空気を読むのでしょうか。
ただ臆病だから、ということではないように思えます。
単に自信がないから、というだけでも説明しきれません。
むしろそこには、
関係の中で場を保とうとする意識が働いているのではないでしょうか。
個人の考えをそのまま押し出すことよりも、
その場全体がどう成り立つかを先に感じ取る。
その上で、自分の位置を決める。
そうした感覚が強いとき、
人は自然に空気を読むようになります。
もちろん、それには窮屈さもあります。
言いたいことが言えない
曖昧さが増える。
責任の所在が見えにくくなる。
そうした問題はたしかにあるでしょう。
けれども、それでもなお、
空気を読むことが完全になくならないのは、
それが何かを支えているからでもあるように思えます。
つまり、空気を読むということは、
単なる弱さではなく、
関係を維持するための感覚でもあるのではないでしょうか。
それがいつも良い形で働くとは限りません。
ただ、なぜそうした感覚が共有されやすいのかを考えるとき、
そこには日本人のものの見方の一端が表れているように思えます。


