社会の中で、人はどう生きればよいのか

疑問:
なぜ、人は自分一人の思いだけではなく、社会の中でどう生きるかを考えなければならないのだろうか

揺らぎ:
過去:自分のことを守ればよいと思っていた日
 現在:人との関係や場の中で、自分の行動を考える瞬間
 未来:自分だけを見て、周囲とのつながりを見失ってしまう感覚

本文:
駅のホームで、
人の流れに合わせて歩いていることがあります。

急いでいる人。
立ち止まる人。
荷物を抱えている人。
子どもの手を引く人。

それぞれが別々の用事を持っているのに、
同じ場所で、
少しずつ譲り合いながら動いています。

誰かが大きく指示しているわけではありません。

けれど、
そこには何となく守られているものがあります。

前をふさがない。
ぶつからないようにする。
困っている人を見て少しよける。
声に出さなくても、場に合わせる。

それは小さなことです。

けれど、
そうした小さなことが崩れると、
暮らしはすぐに荒れてしまいます。

社会の中で生きるというと、
大きな話のように聞こえます。

けれど実際には、
駅のホームや、
職場の席や、
家の食卓や、
近所の道の中にあります。

スマートフォンを開けば、
自分の権利や、
誰かの間違いや、
強い主張が目に入ります。

それも大切です。

けれど、
自分だけを強く出せば、
人と一緒に暮らす場所は、
少しずつ固くなっていくことがあります。

この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。

昔の人なら、
社会の中で生きることを、
ただ我慢することとして見たのでしょうか。

それとも、
自分を保ちながら、
周りの人と暮らしを成り立たせることとして、
受け止めていたのでしょうか。

分かりません。

ただ、
社会の中で生きるとは、
自分を消すことではないのだと思います。

自分の一歩を、
周りの人の一歩とぶつけずに進めること。

そういう小さな調整が、
毎日のあちこちにあります。

人の流れの中で少し歩幅をゆるめたとき、
自分の一歩も、
誰かの一歩と同じ場所にあるのだと感じることがあります。

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