疑問:
なぜ、自由に選べるはずなのに、何を基準に行動すればよいのか分からなくなるのだろうか
揺らぎ:
過去:その時の気持ちや都合で動けばよいと思っていた日
現在:判断に迷い、自分の基準が見えなくなる瞬間
未来:基準を持たないまま、空気や損得に流されてしまう感覚
本文:
職場で返事をする前に、
少しだけ迷うことがあります。
本当は違うと思っている。
けれど、
ここで言えば面倒になる。
黙っていれば、
その場は進む。
けれど、
あとで自分の中に何かが残る。
そういう小さな判断は、
一日の中にいくつもあります。
家の中でも同じです。
言うべきか。
黙るべきか。
引き受けるべきか。
断るべきか。
どれも大きな決断ではありません。
けれど、
そのたびに少しずつ、
自分は何を守ろうとしているのだろうと感じることがあります。
スマートフォンを開けば、
いろいろな基準が流れてきます。
得をすること。
損をしないこと。
正しく見えること。
強く見えること。
自分を守ること。
どれも分かります。
けれど、
それだけで動いていると、
何か大事なものから少し離れていくように感じることがあります。
この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。
昔の人なら、
行動の基準を、
その場の気分だけに置いたのでしょうか。
それとも、
自分を超えたものや、
人との関係や、
受け継いできたものの中に、
判断の支えを見ていたのでしょうか。
分かりません。
ただ、
人は自由に動いているようでいて、
何かの支えを持たなければ、
その時々の空気に動かされてしまうことがあります。
迷ったとき、
何を守りたいのか。
そこを一度だけ見つめると、
同じ返事の重さが、
ほんの少しだけ変わってきます。


