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言いたいことを飲み込んだあとで、
少し苦く残ることがあります。
言えばよかったのかもしれません。
けれど、
言えばその場が壊れたかもしれない。
そう思うことがあります。
また、
誰にも見られていないはずなのに、
あとから恥ずかしくなることがあります。
少しずるいことをしたとき。
人を粗末に扱ったとき。
見ないふりをしたとき。
誰かに責められたわけではありません。
それでも、
自分の中に小さく残るものがあります。
和という言葉も、
恥という言葉も、
今では少し古く聞こえるかもしれません。
和は我慢すること。
恥は人目を気にすること。
そう受け止めることもできます。
けれど、
それだけなのでしょうか。
和は、
人と人が壊れずに暮らしていくための感覚だったのかもしれません。
恥は、
誰も見ていないところで、
自分を見失わないための感覚だったのかもしれません。
一つは、
人との間を整える感覚。
もう一つは、
自分の内側を保つ感覚。
そう考えると、
和と恥は、
ただ古い価値観ではなく、
人が人と共に生きるための、
細かな支えだったように見えてきます。
この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。
昔の人なら、
和や恥を、
ただ人を縛るものとして見たのでしょうか。
それとも、
人と人の間を整え、
自分の内側を保つためのものとして、
受け止めていたのでしょうか。
分かりません。
ただ、
和と恥がまだ胸に残るということは、
自分の中に、
人と共に生きるための感覚が、
少しは残っているということなのかもしれません。
そう思うと、
飲み込んだ言葉も、
あとから残った恥ずかしさも、
ただ弱さだけではなかったように見えてきます。





