世界が揺れる時に何を見ていたのか

👁 56 回閲覧

遠い国の出来事を見ているはずなのに、
自分の暮らしまで少し揺れることがあります。

ニュースの中の戦争。

物価の上がり方。

遠くで決まったことが、
自分の家計や仕事や不安にまで届いてくる。

そういう日があります。

世界のことは、
自分には遠いものだと思っていました。

けれど、
遠くで起きたことが、
食卓の値段や、
職場の空気や、
これから先の不安につながってくると、
世界はそれほど遠くないのだと感じることがあります。

世界が揺れる時、
人は自分の立つ場所を見失いやすくなります。

何に合わせればよいのか。

何を信じればよいのか。

何を守ればよいのか。

その基準が見えにくくなります。

この感じは、
今だけのものなのでしょうか。

昔の人なら、
世界が大きく動く時代に、
ただ外の力に合わせればよいと考えたのでしょうか。

それとも、
外を見るほど、
自分たちが何者なのかを、
深く考えたのでしょうか。

分かりません。

ただ、
世界を見ることは、
外を眺めるだけではないのだと思います。

外が揺れるほど、
自分たちの足元も問われます。

何を受け継いできたのか。

何を失ってはいけないのか。

どこに立っているのか。

そうした問いは、
大きな時代の話であると同時に、
日々の暮らしにも戻ってくる問いです。

世界が揺れていると感じる日ほど、
自分の立つ場所を、
少しだけ確かめたくなることがあります。

このまとまりの記事一覧へ戻る

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次