朝、蛇口から水が出るだけで、
何も考えずに顔を洗うことがあります。
当たり前のことです。
電気がつき、
湯が沸き、
ご飯を食べ、
ゴミを出し、
電車に乗り、
仕事へ向かう。
毎日は、
そうした小さなことの連続です。
けれど、
どれか一つが止まるだけで、
暮らしはすぐに落ち着かなくなります。
普段は気づきません。
水を届ける人。
道を直す人。
店を開ける人。
荷物を運ぶ人。
家の中を整える人。
黙って待っている人。
そうした支えの上に、
自分の一日が置かれていることがあります。
仕事や家計に追われていると、
自分だけが頑張っているように感じることがあります。
言いたいことを飲み込み、
疲れを隠し、
何とか一日を終える。
その重さは確かにあります。
けれど、
本当に一人で暮らしを支えているのでしょうか。
昔の人なら、
生活を自分だけの営みとして見たのでしょうか。
それとも、
見えない多くの支えに囲まれたものとして、
受け止めていたのでしょうか。
分かりません。
ただ、
朝の水や、
食卓の湯気や、
いつもの道の明かりを見ていると、
暮らしは思っているよりも多くのものに支えられている気がします。
そう気づいたとき、
今日を始める重さが、
少しだけ違って感じられます。

