足元の土地を、ただの場所だと思っていた

雨上がりの朝、
家の前の道に少しだけ水が残っていることがあります。

靴を濡らさないように歩きながら、
いつも通っている道のはずなのに、
その日は少しだけ足元が気になります。

駅までの道。
近所の家の塀。
古い木。
毎朝すれ違う人。
角を曲がったところにある小さな店。

普段は、
ただの風景として通り過ぎています。

けれど、
疲れている日ほど、
自分の暮らしはこの場所から切り離せないのだと感じることがあります。

住所を書けば、
それで済むように思えます。

けれど、
そこで眠り、
食べ、
働きに出て、
また帰ってくる。

その繰り返しの中で、
土地はただの場所ではなくなっていきます。

スマートフォンの中では、
遠い場所の出来事が次々に流れてきます。

それを見ていると、
自分の足元のことほど、
かえって見えにくくなることがあります。

この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。

昔の人なら、
國土を地図の上の広さとしてだけ見たのでしょうか。

それとも、
暮らしを受け止めている足元のものとして、
もう少し静かに感じていたのでしょうか。

分かりません。

ただ、
自分が立っている場所を見直すだけで、
いつもの道が少し違って見えることがあります。

その道を今日も歩いている。

それだけのことが、
思っていたよりも深いことなのかもしれません。

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