形ではなく、何を見ればよいのか

疑問:
なぜ、形だけを見ていると、大切なものの中身が見えにくくなるのだろうか

揺らぎ:
過去:形や決まりを見れば、分かったように思っていた日
 現在:暮らしの中で、形だけでは受け止めきれないものに気づく瞬間
 未来:形だけを追いかけて、大切なものの中身を見失ってしまう感覚

本文:
町内の回覧板が、
玄関先に置かれていることがあります。

特に急ぎのものではありません。

印刷された知らせ。
行事の予定。
ごみ出しの注意。
誰かが書いた小さな連絡。

一つ一つは、
よくあることです。

読んで、
印をつけて、
次の家へ回す。

それだけのことです。

けれど、
疲れている日には、
その回覧板が、
ただの決まりごとだけには見えないことがあります。

誰かが印刷し、
誰かが配り、
誰かが受け取り、
誰かが次へ回している。

面倒だと思う日もあります。

なくてもよいのではないかと、
思うこともあります。

けれど、
そういう小さな決まりがあることで、
かろうじて保たれているものもあるのかもしれません。

形は必要です。

ただ、
形だけを見ていると、
それが何を支えていたのかを、
見落としてしまうことがあります。

ごみ置き場がきれいに使われていること。

道で会えば、
軽く頭を下げること。

困った時に、
どこの家の人か何となく分かること。

そういうものは、
はっきりした制度ではありません。

けれど、
暮らしの底の方で、
人と人の距離を少しだけ整えているように見えることがあります。

この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。

昔の人なら、
形や決まりを、
ただ面倒なものとして見たのでしょうか。

それとも、
その奥にある働きを、
もう少し静かに見ていたのでしょうか。

分かりません。

ただ、
形だけを見れば、
回覧板は一枚の紙です。

けれど、
その紙が回っているあいだに、
人の間に残っているものもあります。

そこに目を向けたとき、
玄関先に置かれた回覧板が、
ほんの少しだけ違って見えることがあります。

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