疑問:
なぜ、大切なことを考えるとき、誰かの説明だけでなく、もとの言葉に戻る必要があるのだろうか
揺らぎ:
過去:分かりやすい説明だけで十分だと思っていた日
現在:説明を読んでも、どこか納得しきれない瞬間
未来:もとの言葉に触れないまま、大切なものを分かったつもりで終えてしまう感覚
本文:
分かりやすい説明に、
助けられることがあります。
短くまとまった文章。
親切な解説。
すぐに答えが分かるような見出し。
忙しい日には、
それだけで十分だと思うことがあります。
仕事もあり、
家のこともあり、
考えることも多い。
ひとつの言葉にゆっくり向き合う時間は、
なかなか取れません。
けれど、
説明を読んだあとで、
なぜか胸の奥に、
まだ何か残っていることがあります。
分かったような気はする。
でも、
本当に自分で受け取ったのだろうか。
そう思うことがあります。
誰かの説明が悪いわけではありません。
分かりやすくしてくれる言葉に、
助けられることは多いです。
ただ、
大切なことほど、
誰かを通った言葉だけでは、
自分の中に静かに入ってこないことがあります。
この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。
昔の人なら、
大切なことを考えるとき、
分かりやすい説明だけで済ませたのでしょうか。
それとも、
時間がかかっても、
もとの言葉に触れ、
そこから自分の暮らしへ引き寄せていたのでしょうか。
分かりません。
ただ、
もとの言葉に戻るというのは、
古いものをありがたがることではないのだと思います。
受け取る場所を、
自分の中に作ることなのかもしれません。
急いで答えをもらうのではなく、
自分の目で見て、
自分の暮らしの中で考えてみる。
そうしたとき、
同じ言葉が、
ほんの少しだけ違う重さを持って見えてくることがあります。


