歴史の中で、何が続いてきたのか

疑問:
なぜ、時代が変わっても、歴史の中には何か続いてきたものがあるように感じるのだろうか

揺らぎ:
過去:歴史を、過去の出来事の並びとして見ていた日
 現在:今の暮らしの中にも、続いてきたものが残っていると感じる瞬間
 未来:続いてきたものに気づかないまま、過去と今を切り離してしまう感覚

本文:
古い写真を見ていると、
知らない時代のはずなのに、
どこか見覚えのある感じがすることがあります。

服装は違います。
家の形も違います。
道の様子も、今とは違います。

それなのに、
家族で並んでいる顔や、
祭りの日に集まった人たちや、
台所の前に立つ姿を見ていると、
まったく別の世界ではないように感じることがあります。

歴史というと、
年号や出来事を思い浮かべます。

何年に何が起きたのか。
誰が何をしたのか。
どの時代に何が変わったのか。

それは大切です。

けれど、
古い写真を見ていると、
それだけではないような気がします。

そこに写っている人も、
朝起きて、
食事をして、
誰かに気を遣い、
家のことを考え、
明日のことを心配していたのかもしれません。

今の自分と同じように、
言えなかった言葉があり、
飲み込んだ思いがあり、
守ろうとしたものがあったのかもしれません。

そう思うと、
過去は急に遠いものではなくなります。

忙しい暮らしの中では、
昔のことまで考える余裕はあまりありません。

仕事に追われ、
家計を気にし、
家の中で言いたいことを飲み込み、
今日のことだけで一日が終わっていきます。

それでも、
今の暮らしの中にも、
どこか昔から続いてきたものが残っているように感じることがあります。

人と顔を合わせること。
家を整えること。
誰かを思って言葉を選ぶこと。
季節の変わり目に、少しだけ心が動くこと。

それらは、
大きな出来事として残るものではありません。

けれど、
そういう小さなものの中に、
時代が変わっても切れずに残ってきたものがあるのかもしれません。

この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。

昔の人なら、
過去と今を、
別々のものとして見たのでしょうか。

それとも、
自分たちの暮らしを、
受け継がれてきた時間の中で見ていたのでしょうか。

分かりません。

ただ、
古い写真を元の場所へ戻すとき、
そこに写っていた人たちの時間が、
完全には終わっていないように感じることがあります。

今立っているこの日も、
その続きのどこかにあるのかもしれません。

そう思うと、
写真の中の遠い顔が、
少しだけ近く見えてきます。

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