祈りが暮らしを支えていたころ

👁 35 回閲覧

朝、
神棚に手を合わせる人を見たことがあります。

大げさな仕草ではありません。

何かを強く願っているようにも見えません。

ただ、
今日も無事でありますように、
という気持ちが、
そこに少しあるように見えることがあります。

祈りというと、
個人の願いごとのように思うことがあります。

合格しますように。

病気がよくなりますように。

うまくいきますように。

そういう祈りもあります。

けれど、
昔の祈りは、
自分一人の願いだけではなかったのかもしれません。

雨が降りますように。

作物が育ちますように。

人の暮らしが荒れませんように。

家や村や国が、
無事に続きますように。

そういう願いが、
暮らしの底にあったのかもしれません。

国家祭祀という言葉は、
今では遠く聞こえます。

けれど、
人々の暮らしが続くように祈ることは、
遠い制度の話だけではないようにも思えます。

誰かの一日が無事に始まること。

家の中が荒れないこと。

人と人との間が壊れないこと。

そうしたことを願う心は、
今の暮らしにも残っています。

この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。

祈りが暮らしを支えていたころ、
人は自分だけで生きているとは思っていなかったのかもしれません。

手を合わせる人の横顔を見ると、
その静けさが、
少しだけ今の自分の暮らしにも触れてくることがあります。

このまとまりの記事一覧へ戻る

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次