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会議の席で、
本当は少し違うと思っているのに、
そのまま黙ってしまうことがあります。
誰かに止められたわけではありません。
強く命令されたわけでもありません。
ただ、
その場の流れがもう決まっているように見える。
今ここで言えば、
空気が重くなる。
そう感じて、
言葉を飲み込むことがあります。
家の中でも、
職場でも、
同じようなことがあります。
誰もはっきり言っていないのに、
今は言わない方がよい。
今は合わせた方がよい。
今は黙っていた方がよい。
そう思ってしまう瞬間があります。
スマートフォンの中では、
強い言葉が目立ちます。
正しい。
間違っている。
許せない。
変えるべきだ。
そういう言葉に慣れていると、
言葉にされていないものは、
何もないもののように見えてしまいます。
けれど実際の暮らしでは、
人は言葉だけで動いているわけではありません。
表情。
沈黙。
声の大きさ。
誰が先に口を開くか。
誰が黙っているか。
そうしたものが、
場の向きを少しずつ決めていることがあります。
この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。
昔の人なら、
空気を、
ただ流されるものとして見たのでしょうか。
それとも、
人と人が同じ場所にいるときに生まれる、
見えにくい働きとして受け止めていたのでしょうか。
分かりません。
ただ、
空気に動かされていると気づくと、
黙っている自分の姿も、
少し違って見えることがあります。
流されているのか。
守っているのか。
避けているのか。
待っているのか。
すぐには分かりません。
けれど、
自分はいま何を感じているのか。
そこを一度だけ確かめると、
黙っていることも、
口を開くことも、
少し違った重さを持って見えてきます。





