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忠という言葉を聞くと、
少し重く感じることがあります。
今の暮らしには合わない言葉のようにも見えます。
誰かに従うこと。
上の人に逆らわないこと。
そういう古い意味で受け止めてしまうこともあります。
けれど、
暮らしの中で、
その言葉を簡単には捨てきれないと思う場面があります。
約束を守ろうとするとき。
誰かが軽く扱われているのを見たとき。
自分だけが得をすればよいとは思えないとき。
損をすると分かっていても、
そのまま流せないことがあります。
それは命令されたからではありません。
誰かに褒められるためでもありません。
ただ、
胸の奥で、
ここで引いてはいけないと思う。
そういうことがあります。
忠は、
人を縛る言葉にもなり得ます。
だからこそ、
簡単には使えません。
けれど、
本来そこにあったのは、
ただ従うことだけだったのでしょうか。
昔の人なら、
忠を、
自分を消して従うこととしてだけ見たのでしょうか。
それとも、
自分より大きなものに対して、
誠実であろうとする心として受け止めていたのでしょうか。
分かりません。
ただ、
人が何かを守ろうとするとき、
損得だけでは測れないものがあります。
誰かのため。
約束のため。
受け取ってきたもののため。
自分が大切だと思ったもののため。
そうしたものに向かう心を、
昔の人は忠という言葉で受け止めようとしたのかもしれません。
世界が揺れ、
空気が変わり、
損得が前に出てくる時ほど、
何に対して誠実であるのかが問われます。
そう思うと、
重く感じていた古い言葉が、
少しだけ自分の中に残ってくることがあります。





