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古い道具を見て、
手が止まることがあります。
使い込まれた湯のみ。
古い包丁。
何度も直された箱。
誰が使っていたのか、
はっきり分からないこともあります。
それでも、
そこに残った傷や色を見ると、
ただ古いだけではないように感じることがあります。
続いてきたものは、
いつも目立つ形で残るわけではありません。
気づかないうちに、
使い方として残ることがあります。
言葉の癖として残ることがあります。
家の中の習慣として残ることがあります。
普段は、
自分で選んで暮らしているように思っています。
けれど、
よく見ると、
すでに受け取っていたものが、
暮らしのあちこちに残っています。
この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。
昔の人なら、
連続性というものを、
ただ長く続いた事実として見たのでしょうか。
それとも、
受け取る人がいて、
使う人がいて、
また次へ渡す人がいることとして、
受け止めていたのでしょうか。
分かりません。
ただ、
続いてきたということは、
時間がただ流れたということだけではないのだと思います。
誰かが使い、
誰かが直し、
誰かが残した。
その先に、
今の自分がいる。
そう思うと、
古い道具をしまう手つきが、
ほんの少しだけ丁寧になることがあります。





