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神社の近くを通ったとき、
ふいに昔の物語を思い出すことがあります。
子どものころに聞いた話です。
神様が出てきたり、
国の始まりが語られていたり、
大人になってから思い返すと、
どこまで本気で受け止めればよいのか分からなくなる話です。
本当にあったことなのか。
作られた話なのか。
ただの昔話なのか。
そう考えているうちに、
少し面倒になって、
遠い話として片づけてしまうことがあります。
今の暮らしは、
目の前のことで手一杯です。
仕事のこと。
家計のこと。
家族のこと。
明日の予定。
スマートフォンに流れてくる正しい言葉や怒った言葉。
そういうものを追っているうちに、
神話のような古い話は、
今の生活とは関係のないものに見えてきます。
けれど、
本当にそうなのでしょうか。
昔の人は、
神話をただ面白い話として残したのでしょうか。
それとも、
自分たちがどこから来たのか。
何を大切にしてきたのか。
どう生きるべきなのか。
そういうことを、
物語の形で受け止めていたのでしょうか。
分かりません。
ただ、
神話というものは、
すぐに答えをくれる話ではないように思います。
読んだからといって、
明日の用事が片づくわけではありません。
それでも、
古い話の中に触れると、
今の自分だけで生きているわけではないような、
少し不思議な感覚が残ることがあります。
見えないものを粗末にしてよいのか。
昔から伝えられてきたものを、
ただ遠い話として置いてよいのか。
そんな問いが、
あとから静かに戻ってくることがあります。
神社の前を通り過ぎたあと、
何も変わっていないはずの道が、
ほんの少しだけ違って見えることがあります。
昔話として片づけたはずのものが、
まだどこかで、
こちらを見ているように感じるのです。





