國體という言葉を、どう受け止めればよいのか

机の上に書類や本を並べていると、
何から見ればよいのか分からなくなることがあります。

言葉が多い。
説明も多い。
大切そうなものほど、
どこから受け取ればよいのか迷ってしまう。

そういうことがあります。

國體という言葉も、
少し遠く聞こえることがあります。

大きすぎる。
難しそうだ。
自分の暮らしには関係がない。

そう感じる人もいるかもしれません。

けれど、
難しい言葉だからといって、
ただ遠ざけてしまうと、
そこに何が含まれているのかも見えなくなります。

一方で、
言葉だけを細かく整理しても、
自分の生活から離れてしまえば、
やはりよく分からなくなります。

スマートフォンを開けば、
短い説明はいくらでも出てきます。

けれど、
短くまとめられた言葉だけでは、
かえって大事なものが抜け落ちることがあります。

この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。

昔の人なら、
大きな言葉を、
ただ定義だけで受け止めたのでしょうか。

それとも、
暮らしや歴史や人とのつながりの中で、
少しずつ受け止めようとしたのでしょうか。

分かりません。

ただ、
言葉を整理することは、
言葉を小さくすることではないのかもしれません。

遠く見えていたものを、
自分の暮らしの近くまで、
静かに引き寄せていくこと。

そう思ったとき、
難しく見えていた言葉が、
ほんの少しだけ手に取れるものに変わってきます。

このまとまりの記事一覧へ戻る

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次