私たちはふだん、自分という存在を、一つの独立したものとして考えがちです。
自分の意思。
自分の判断。
自分の選択。
そうしたものによって、自分は成り立っていると感じています。
それはたしかに自然な感覚です。
けれども、本当にそれだけなのでしょうか。
たとえば、私たちが使っている言葉は、自分でつくったものではありません。
考え方や感じ方も、まったく何もないところから生まれたわけではないように思えます。
気づかないうちに受け取り、
自然に身につけ、
それを自分のものとして生きている。
そう考えると、私たちは完全に独立した存在というより、
すでにある何かとの関係の中で生きているとも言えるのかもしれません。
もちろん、それは人に縛られているということではありません。
ただ、自分というものが、はじめから何かとのつながりの中に置かれているということです。
家族や地域だけではなく、
もっと広いところで受け継がれてきた感覚や、ものの見方のようなものも含めて。
もっとも、こうしたことは、はっきり目に見えるものではありません。
だからこそ、普段はあまり意識されないのかもしれません。
けれども、まったく切り離されているとも感じにくい。
どこかで、自分は何かの中にいるという感覚が残ることがあります。
それは、ときに窮屈さではなく、
むしろ落ち着きや居場所の感覚として表れることもあるように思います。
自分だけで完結しているのではなく、
何かとのつながりの中にいる。
その見方は、自分というものを弱くするのではなく、
かえって見え方を深くすることもあるのではないでしょうか。





