疑問:
なぜ、別々に見えていたものが、ある時、一つにつながって見えるのだろうか
揺らぎ:
過去:日々の出来事を、ばらばらのものとして受け止めていた日
現在:暮らしの中の小さな出来事が、どこかでつながっているように感じる瞬間
未来:そのつながりに気づかないまま、また一日をばらばらに過ごしてしまう感覚
本文:
夜、食卓の上に置かれたレシートを見て、
少しだけ手が止まることがあります。
今日買ったもの。
帰り道に見た人混み。
職場で飲み込んだ言葉。
家に着いてから聞いた、
家族の短い返事。
一つ一つは、
どれも小さなことです。
大きな事件でもなく、
誰かに話すほどのことでもありません。
その時には、
ただその場で済ませただけです。
買い物は買い物。
仕事は仕事。
家のことは家のこと。
そう分けてしまえば、
それぞれ別の出来事に見えます。
けれど、
疲れた夜に食卓の前で少し黙っていると、
今日あったことが、
同じところに残っているように感じることがあります。
言えなかった言葉。
買うのを少しためらったもの。
聞き流した返事。
見ないふりをした疲れ。
どれも小さいのに、
なぜか残る。
昼間は、
そんなことを考えません。
返事をして、
用事を済ませて、
急いで食べて、
また次のことへ進みます。
一つずつ片づけているつもりで、
一日が終わっていきます。
それでも夜になると、
片づけたはずのものが、
少しだけ戻ってくることがあります。
この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。
昔の人なら、
こういう一日の重なりを、
もう少し自然に受け止めていたのでしょうか。
分かりません。
ただ、
ばらばらに過ぎていったと思っていた一日が、
あとから一つのものに見えることがあります。
食卓の上のレシートも、
職場で飲み込んだ言葉も、
帰り道の沈黙も、
どこかで同じところに残っている。
そう思うと、
ただ終わっただけの一日が、
少しだけ違って見えてきます。

