疑問:
なぜ、毎日がただ過ぎているようでも、どこかで何かが続いていると感じるのだろうか
揺らぎ:
過去:昨日と今日のつながりを、特に考えずに過ごしていた日
現在:いつもの動作の中に、続いてきたものを感じる瞬間
未来:その感覚を見失ったまま、毎日をただ流してしまう感覚
本文:
夕方、台所で茶碗を洗っていると、
一日がそのまま手の中を流れていくように感じることがあります。
朝から仕事をして、
返事をして、
言いたいことを少し飲み込み、
帰り道で足りないものを買って、
気づけばまた、同じ場所に立っています。
特別な出来事があったわけではありません。
水を流し、
茶碗を洗い、
布巾で台を拭く。
ただ、それだけのことです。
けれど、
ふとした瞬間に、
昨日も同じようなことをしていたと思うことがあります。
昨日だけではありません。
その前の日も、
もっと前の日も、
たぶん、同じように誰かが台所に立ち、
茶碗を洗い、
食卓を片づけてきたのでしょう。
普段は、そんなことを考えません。
毎日はただ過ぎていきます。
朝が来て、
用事があり、
返事をして、
疲れて、
また夜になります。
同じことの繰り返しのようにも見えます。
けれど、
その繰り返しの中で、
何かが細く続いているように感じることがあります。
食事をすること。
片づけること。
家の中を少し整えること。
明日のために、ほんの少し準備しておくこと。
どれも、大げさなことではありません。
誰かにほめられることでもなく、
特別に記録されることでもありません。
それでも、
そういう小さな動作がなければ、
暮らしはどこかでほどけてしまうのかもしれません。
昔の人なら、
こういう毎日の繰り返しを、
ただ面倒なこととして見たのでしょうか。
それとも、
何かが続いていくためのものとして、
もう少し静かに受け止めていたのでしょうか。
分かりません。
ただ、
今日の疲れは、
今日だけで終わるものではないような気がします。
昨日から続いてきたものがあり、
明日へ渡していくものもある。
そう思うと、
茶碗を洗い終えたあとの台所が、
少しだけ違って見えることがあります。
何も大きく変わっていないのに、
今日もまた続いている。
そのことに気づくと、
いつもの夜の重さが、
ほんの少しだけ変わってきます。

