疑問:
なぜ、目の前の一つだけを見ていると、本当の姿が分かりにくくなるのだろうか
揺らぎ:
過去:目の前のことだけを片づければよいと思っていた日
現在:一つ一つの出来事が、どこかでつながっているように感じる瞬間
未来:全体を見ないまま、また目先のことだけに追われてしまう感覚
本文:
夜、机の上に予定表を広げていると、
急に一日が重く見えることがあります。
明日の仕事。
家の用事。
返していない連絡。
支払いの日。
言えないまま残った一言。
一つ一つは、
片づければ済むことです。
けれど、
それを別々に見ているうちに、
かえって暮らし全体が見えなくなることがあります。
仕事は仕事。
家のことは家のこと。
お金のことはお金のこと。
人とのことは人とのこと。
そう分けてしまえば、
少しは楽になるように思えます。
けれど実際には、
職場で飲み込んだ言葉が、
家に帰ってからの沈黙に残ることがあります。
家の中の小さな疲れが、
次の日の返事を重くすることもあります。
予定表の上では別々に並んでいるものが、
暮らしの中では、
どこかで同じところにつながっている。
そう感じる夜があります。
昼間は、
そんなことを考えている暇はありません。
返事をする。
時間に間に合わせる。
次の用事へ向かう。
忘れないように書いておく。
そうしているうちに、
一日は終わっていきます。
けれど夜になって、
机の前で少し黙っていると、
目の前の一つだけを片づけても、
まだ何かが残っているように感じることがあります。
この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。
昔の人なら、
目の前の用事だけを見て、
一日を終えていたのでしょうか。
それとも、
家のことも、
働くことも、
人とのことも、
心に残ったものも、
一つの暮らしの中で見ていたのでしょうか。
分かりません。
ただ、
全体として見るというのは、
難しい理屈を並べることではなく、
別々に見えていたものを、
少し離れたところから眺め直すことなのかもしれません。
予定表を閉じるとき、
片づけるべき用事だけでなく、
自分の暮らしそのものが、
少しだけ見えてくることがあります。



