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仕事帰りの電車で、
吊革につかまったまま、
窓の外を見ていることがあります。
一日は終わったはずなのに、
頭の中にはまだ、
言えなかった言葉や、
返せなかった返事や、
明日の予定が残っています。
自分で選び、
自分で働き、
自分で何とかしている。
そう思っているはずなのに、
疲れた日ほど、
本当に一人で立っているのだろうか、
と思うことがあります。
朝、誰かが出してくれたお茶。
いつも通る道を掃いている人。
電車を動かしている人。
黙って隣に座っている人。
家に残っている灯り。
普段は、
そんなことを一つ一つ考えません。
あって当然で、
動いて当然で、
そこにあることも、
そこにいる人のことも、
いつの間にか背景のようになっています。
けれど、
疲れている時ほど、
そういうものが、
思ったより近くにあったのだと気づくことがあります。
ありがとうと言わないまま、
受け取っているものがあります。
気づかれないまま、
続けてくれていることがあります。
何も言わずに、
待っていてくれる人もいます。
そういうものは、
声に出して確かめることがあまりありません。
だから、
普段は見えません。
それでも、
一日を終えて帰る道で、
家の明かりや、
人の足音や、
誰かの小さな気配に触れると、
自分一人で抱えていると思っていたものが、
少しだけ軽くなることがあります。
この疲れも、
自分一人だけで背負うものではないのかもしれない。
そう思うと、
少しだけ息がしやすくなることがあります。
自分一人で何とかしていると思っていた毎日の中にも、
誰かの手や、
誰かの声や、
誰かの沈黙が、
静かに残っていることがあります。
そう気づいたとき、
帰り道の灯りが、
いつもより少しだけ近く見えることがあります。

