疑問:
なぜ、大切なものほど、形だけを見て分かったつもりになってしまうのだろうか
揺らぎ:
過去:形や決まりを見れば、分かったような気がしていた日
現在:暮らしの中で、形だけでは受け止めきれないものに気づく瞬間
未来:形だけを見て、大切なものの中身を見失ってしまう感覚
本文:
役所や職場の書類に、
名前を書くことがあります。
氏名。
住所。
続柄。
世帯。
勤務先。
いつもなら、
何も考えずに埋めていく欄です。
必要なものです。
書かなければ手続きは進みません。
決まりがなければ困ります。
形があるから、
物事は片づいていきます。
けれど、
疲れている日には、
その短い言葉の向こう側が、
少しだけ気になることがあります。
家族という言葉も、
仕事という言葉も、
地域という言葉も、
書類の上では短く収まります。
けれど実際には、
言えなかった一言や、
毎日の食卓や、
帰り道の沈黙や、
誰かを待つ時間の中にあります。
そこまでは、
欄の中には入りません。
形を見ることは大切です。
ただ、
形だけを見ていると、
そこにあったはずの暮らしが、
少し遠くなることがあります。
スマートフォンを開けば、
言葉の意味も、
仕組みも、
誰かの意見も、
すぐに並びます。
読めば分かったような気になります。
けれど画面を閉じたあと、
本当に見ていたのは何だったのだろうと、
少しだけ残ることがあります。
この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。
昔の人なら、
大切なものを、
形や決まりだけで見たのでしょうか。
それとも、
その奥にある暮らしや心の動きを、
もう少し静かに見ていたのでしょうか。
分かりません。
ただ、
書けば済むはずの欄なのに、
そこに書ききれないものがある。
そう感じる日があります。
いつもの書類の言葉が、
ほんの少しだけ重く見えるのは、
そのせいなのかもしれません。

