一部だけを見ると、なぜ分からなくなるのか

疑問:
なぜ、一部だけを見て分かったつもりになると、かえって大切なものを見誤ってしまうのだろうか

揺らぎ:
過去:見えている部分だけで判断していた日
 現在:あとから事情を知り、見え方が変わる瞬間
 未来:一部だけを見て、また誰かや何かを誤って受け止めてしまう感覚

本文:
短い返事だけを見て、
少し嫌な気持ちになることがあります。

分かった。
今は無理。
あとで。

それだけの言葉なのに、
冷たく感じることがあります。

自分が軽く扱われたように思うこともあります。

けれどあとから、
相手が忙しかったことや、
体調が悪かったことや、
別のことで手一杯だったことを知ると、
同じ言葉の見え方が変わることがあります。

見えていたのは、
ほんの一部だったのかもしれません。

職場でも、
家の中でも、
こういうことはあります。

一つの表情。
一つの言葉。
一つの出来事。

それだけを見て、
分かったような気になってしまう。

スマートフォンの画面でも、
同じことが起こります。

短い見出し。
切り取られた言葉。
誰かの怒った意見。

目に入った瞬間、
すぐに分かったような気になります。

けれど、
その前に何があったのか。
その後に何が続いたのか。
その人がどんな一日を過ごしていたのか。

そこまでは、
なかなか見えません。

一部だけを見ると、
判断は早くなります。

けれど、
早く分かった分だけ、
見えなくなるものもあります。

この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。

昔の人なら、
見えているものだけで、
すぐに決めていたのでしょうか。

それとも、
見えていないところに事情があることを、
もう少し静かに待っていたのでしょうか。

分かりません。

ただ、
急いで決める前に、
少しだけ立ち止まる。

それだけで、
同じ言葉や同じ出来事が、
少し違って見えてくることがあります。

目に入ったものがすべてではない。

そう思えた日には、
少しだけ人の見方が変わることがあります。

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