疑問:
なぜ、昔からあるものほど、今の暮らしの中では見えにくくなってしまうのだろうか
揺らぎ:
過去:昔からあるものを、古いものとして深く考えずに見ていた日
現在:暮らしの中で、古いものの意味が少し気になり始める瞬間
未来:見えにくいまま通り過ぎ、大切なものを失ってしまうかもしれない感覚
本文:
引き出しの奥から、
古い封筒や写真が出てくることがあります。
何年も見ていなかったものです。
特別に探していたわけではありません。
片づけの途中で、
たまたま手に触れただけです。
けれど、
そこに書かれた字や、
少し色の変わった写真を見ていると、
なぜかすぐに捨てられないことがあります。
今の暮らしは、
何かと速く進んでいきます。
仕事の予定。
家計の心配。
家族の用事。
スマートフォンに流れてくる言葉。
目の前のことを片づけているだけで、
一日が終わっていきます。
その速さの中では、
昔からあるものほど、
かえって見えにくくなることがあります。
古い言葉。
古い習慣。
昔から続いてきた家のこと。
季節ごとにしていた小さなこと。
それらは、
今すぐ役に立つものとして、
大きな声で自分を主張してくるわけではありません。
だから、
忙しい日々の中では、
なくても困らないもののように見えてしまいます。
けれど、
本当にそうなのでしょうか。
近すぎたものほど、
見ていなかったのかもしれません。
いつもそこにあったものほど、
わざわざ目を向けてこなかったのかもしれません。
この感じは、
自分だけのものなのでしょうか。
昔の人なら、
昔からあるものを、
ただ古いというだけで片づけたのでしょうか。
分かりません。
ただ、
今の自分が見えにくくなっているものの中に、
まだ何かが残っているような気がします。
古い封筒を元の場所に戻すとき、
すぐには言葉にできないものが、
少しだけ胸に残ります。
それは、
見えなくなったのではなく、
見ようとする目が、
いつの間にか弱くなっていたということなのかもしれません。


