疑問:
なぜ、言葉では分かったはずなのに、暮らしの中では何かがずれてしまうのだろうか
揺らぎ:
過去:言葉の意味を知れば、分かったような気がしていた日
現在:説明を読んでも、暮らしの感覚と合わない瞬間
未来:言葉だけで分かったつもりになり、大切なものを見失ってしまう感覚
本文:
仕事の合間に、
スマートフォンで知らない言葉を調べることがあります。
意味を読み、
説明を読み、
誰かの意見をいくつか眺めると、
少し分かったような気になります。
便利なことです。
昔なら、
調べるだけで時間がかかったことも、
今はすぐに目の前へ出てきます。
けれど画面を閉じて、
自分の一日に戻ると、
その分かったはずの言葉が、
うまく座らないことがあります。
職場で言いたいことを飲み込むこと。
家で短い返事だけをしてしまうこと。
レシートを見て、
少し黙ること。
ニュースに流れる正しい言葉や怒った言葉に、
疲れてしまうこと。
そういう場面の中では、
言葉の意味を知っているだけでは、
どこか足りないように感じることがあります。
説明は正しいのかもしれません。
けれど、
正しい説明を読んだあとでも、
胸の奥に残るものが消えないことがあります。
このずれは、
自分だけのものなのでしょうか。
昔の人なら、
言葉を知ることと、
それを暮らしの中で受け止めることを、
もう少し分けていたのでしょうか。
分かりません。
ただ、
分かったはずなのに、
まだ何かが残っている。
そういうことがあります。
意味を知ることは大切です。
でも、
その言葉が、
自分の暮らしのどこに触れているのか。
そこまで見ようとしたとき、
同じ言葉が、
少しだけ違って見えることがあります。



